牧野信一
底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
2003(平成15)年5月10日初版第1刷発行
初出:「日本評論 第十巻第十二号」日本評論社
1935(昭和10)年12月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:小林繁雄
牧野信一
「いよ/\、停車場が出来るとなれば――」とか「小田原の家の竹藪の真ん中が、ステーシヨンの正面になると決つた。」とか「熱海まで延びて、更にトンネルが抜ける段になると……」とか、さういふ類ひの彼の興奮の声を私達は何百辺聞かされたことであらう。そして、書類でふくらんだ弁護士でもが持ちさうな手鞄を抱へて、何処へ行くのか知らないが俥ばかりを乗り廻した。往来で出遇つた時など、思はず私が以前のやうに手をあげて、ハロウ……と呼びかけても、今では彼はニコリともせず棒切れでも呑んでゐる見たいにしやちこ張つて、まん丸な眼玉を極めて真面目さうにぎよろりと輝やかせてゐるだけだつた。私は、決して故意に滑稽なる形容辞を弄するわけではない。余程真に迫つた矛盾の痛手を覚えさせられぬ限り、誰が親愛なる父の姿を漫画に喩える態の悲惨を敢て犯し得よう筈もないのである。けれど、嗚呼戯(あゝ)―― と私は吐息を衝きながら、何と夥しい不孝を感じながらも、その単に飽くまでも生真面目さうに一方ばかりを睨んだまん丸い眼玉、陰影の無い武張つた大面、そして稍ともすれば頤をぐつと引いて大層らしい思案の腕組に陶然たる有様などに接するにつけ、私はその禿げあがつた頭の天辺に赤い缶型の帽子を想像せずには居られなかつた。
「先づ△△から××まで私線鉄道を敷いて、△△山の赤土を埋立地へ運ぶとなれば……」
と彼は虚空に眼を据えた。――彼への訪問者といふのが、どれもこれも、一見すると狸のやうに落着いて葉巻などを喫してゐるが、愛嬌笑ひの声も、真剣味を露はにした賛同の握手も、真面目気であればあるほど空々しく品が悪かつた。山林技師であるN(ナタリー)の父親だけが、おそらく級友でもあつたかのやうに、へだてのない容子が一見してあきらかであり、
「何ウモ君ノマハリニ集ル紳士連ハ、信用成シ難イネ。」
などゝ云つても、彼は返つて何か魂胆あり気にかぶりを振つて一向とり合はなかつた。
私たちにしろ、もう遥かの山のむかふからはトンネル工事の爆破の音なども響きはぢめたし、竹藪であつたり、沼地であつたりした場所が繁華なステーシヨンの広場になるといふからには、多くの彼の事業に関して、決して失敗などは予期しもしなかつたのであるが、年寄や婦子供のみの古めかしい屋根の下に行灯や雪洞の光りのまはりで寂しく蟋蟀のやうな日夕を送り迎へてゐた者共にとつては、急に夜更けまでも電話のベルが鳴つたり、乗つたこともなかつた自動車が出入したりする華々しさに、何か漠然として信じ難いばつの悪さを誘はれるのであつた。
「どうせ碌なことがある気遣ひはないさ。それあ停車場が出来るといふからには、賑やかにはなるだらうけれど、そんな先の事許り当にして前祝ひばかりしてゐたひには、屹度また後では鬱(ふさ)がなければならないやうな始末になるばかりさ。」
阿母がそんなに云ふと、阿父は震えて口を尖らせた。