牧野信一
底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
2003(平成15)年5月10日初版第1刷発行
初出:「日本評論 第十巻第十二号」日本評論社
1935(昭和10)年12月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:小林繁雄
牧野信一
阿父の一団が手に手に美しい歌妓を携へて附近の温泉場を会議場としながら株式の設立をいそぎ、祝盃に祝盃を重ねて素晴しい大夢に恍惚としてゐた有様は、さながら海賊の度胸にも似た豪胆さと奔放無碍なるお祭り気分であつた。私も、いつの間にかニワカ金持の分身の態にヤニさがつて、憂鬱な学業などは顧慮しなかつた。汽車は間もなく噂の大渦を横切つて小田原へ達し、大祭の提灯行列、更に真鶴に延びて大花火の万雷は空を覆ひ、沿線の春秋は三年、四年の年月を鬨の声を浴びて、興奮の竜巻の中を邁進した。
「お前だけは、まさかと思つてゐたのにとう/\ワイワイ連の手下になつたのかね。」
阿母はひとり涙を滾して、私を引き据えようとしたが、今では滅多に吾家には戻らうともせず海岸寄りの上等地帯に新しい和風の粋な別荘などを建てゝ不安を知らぬ阿父の方の騒ぎが耳にこびりついて離れず、私は恰で遊蕩児のやうに阿母の言葉などは何処吹く風かとばかりにうけ流して、海賊連のお先走りであるかのやうに浮れた。
ところが大トンネルの難工事が漸く不吉な噂を流すころになるに従つて、彼等の所謂「世界的不景気」なるものゝ暴風が次第に逞しく荒れ始めるに伴れて、地価などゝいふものは忽ちスロープを降下する橇のやうにもんどりを打つて滑り落ちた。
「これぢや、どうも取りつく島もないぞ。」
連中の青息は穴のあいた風琴のやうに手応えもなくなり、狸腹や狐憑きの姿も消え失せて、阿父は道具立てばかりが依然として艶々しい独り舞台で腕組をしてゐるのが目立つた。所詮は抵当物件を悉く提供しても、辛うじて債務の域に達する程度で、わづかな蓄妾費の捻出にさへも事欠く状態らしかつた。多くの銀行は一斉に大扉を降すといふ騒ぎが起つたりした。
「何あに、もう少しの辛棒だ。ねえ君……」
と阿父は思はず話相手にもならぬ私を、仲間とでも見違へて、そんな風に呼びかけたりした。「――あれまで進んだトンネルがこのまゝ中止になるなんてことがあるものか。僕はどんな恐慌が来ようと、政府は信じてゐるんだから……」
大地震が勃発した。
私は、両親にあいさつをするいとまもなく、甲斐々々しい背広服をまとつて、東京へ出ると即座に新聞記者の職を求め、実にも華々しい活躍に寝食を忘れた。そして休日毎に遥々と故郷の父母を見舞ふと、二人は仲違ひの状態で、阿母は米塩の資(もとで)だけには事欠ぬと云つてゐたが阿父は西瓜畑の一隅の、漂流者の住みさうな小屋にもぐつて、
「俺ニハ一文ノ金モナクナツタヨ。はつどつぐデモ捏ネテ売リ出サウカシラ?」
と、たしかにこれもフリガン君と見るより他はない茫然たる無表情の貌で目を丸くしてゐた。
「心細イコトヲ云ハナイデ欲イヨ、だつでい――僕トイフ息子ノアルコトヲ忘レタンデスカ?」
私は胸を張り出して、大いに慰めた。阿父と英語の会話をとり交したのは全く暫くぶりだつたが、やはりこの方が具合が好かつた。――既にして私は再び明朗至純なる文学青年としての心懐をとり戻してゐた折からであつたから、人間の姿の本来なるものゝ純粋さこそは、寧ろその得意の場合よりも、失意の上にのみ釈然として認め得らるゝものであるといふ自信を持つてゐた。
「オ金モ、今日ダツテ、コレグラヒ持ツテ来マシタ、マタ来月モ持ツテ来ルデセウ、だつでいニ贈リタイノデアリマス。」
私はポケツトから、あるだけの紙幣をつかみ出して五十円を並べたりした。すると彼は、心細気に横を向いて、
「俺あ、いらねえよ。折角お前えがとつたものなんだから服でもつくつたら好からう。」
と今度は、明瞭な方言で唸つた。そして決して受取らうとしないのであるが、私だつて出したものを引つこめるわけにもゆかないので、不図、もう羽織も欲しい季節だといふのに浴衣の重ね着をして控えてゐた傍らの雛妓(おしやく)を見たので、慌ててその子に渡すと、その養母(はゝ)と二人が非常に丁寧に頭をさげて、
「若旦那様、どうも有り難う――」
とお辞儀をした。
――――――――――
私は、或る事情のために本稿を此処で中断しなければならない。私は、これから急拠故郷の母の許へ赴くべき用件に迫られたのである。今では普通列車でも一時間三十分で達するのであるが、私は特に、超特急「ツバメ」の急行券を求めて、三十分だけでもの便乗時間を短縮せずには居られない。阿父は、あの漂流小屋で酒を飲み過ぎて斃れ、既に十数年の星霜が経つてゐる。丹那トンネルが開通したのはこの冒頭に誌した如く、去年の今頃であるが、従令阿父が健在であつたにしても、沿線のどこの一個所にも所有を保つた土地も無くなつたから、晩秋の大祭りの酒もうまくは飲めなかつたであらう。――十一月になると未だにナタリーは私の誕生日を祝して贈物を寄せるのが、あの「宮に似た」のエレヂイを私が説明した頃から、二十年以来の習慣である。夫々所持してゐたバースデイ・ブツクにサインを交したのは恰度あの頃であつたが、私はいつの間にか、それを紛失した。